10月10日。

 この日里には悲しみと怒りが満ち溢れる。

 誰もが亡くした大切な人を想って涙し、それを奪ったモノを思って歯を食いしばり拳を握る。

 そんな日に、少年は生まれた。










幸せの在処










 容赦のない一撃をくらった横腹を掌で覆って、少年は鈍い痛みに耐えていた。
 殴られ蹴られるのはいつもの事だが、やはり今日この日だけはいつも以上にそれが激しい。
 その理由を少年は知っている。

 まるで自分達の行いを何かの儀式だと思っているように、歴代の火影達が見守るこの場所で少年に暴力をふるった大人達は、少年が動かなくなったのを確認してから満足そうにここを離れていった。
 それが十数分前。

 尋常ではない治癒力を持つ彼の身体は、すでにほとんどの傷は治っていた。
 ただ最後の一撃とばかりに一際強く蹴られた横腹だけは、内臓まで傷ついてしまったのかいまだに鈍い痛みを訴えていた。
 
 それでも歩けないほどではなかったのだが、少年は腹を押さえ猫のように丸くなり、その場に身を横たえていた。

 嫌味かと思う程優しい月の光に、自らの血に汚れた金髪がきらきらと光る。
 長い前髪に隠れた、いい意味でも悪い意味でもガラス玉のような瞳は、その様をただ見ていた。

 ずきずきずきずき、痛みは消えない。

 少年は静かに目を閉じた。
 10月も半ばに差し掛かったこの季節、夜も深まれば空気は冷たく、地面に直接寝転がった体から熱をどんどん奪っていく。

 このまま死んでもいいかな、と思った、その時。

 冷え切った掌に触れる、あたたかな熱を感じた。
 心地よささえ感じるそれに、思わず目を開く。
 金色のカーテンに遮られてよく見えないが、その熱は確かに人のカタチをしていた。
 少年の掌に触れるのは、一回りも二回りも大きな掌だ。


「誰……」


 小さな呟きはかすれて、さらに聞きづらくなっていたが、その人物には届いたらしい。
 返事があった。


「ん、ナイショだよ」


 語尾にハートマークが乱舞していそうな一言だった。
 
 馬鹿にしてんのか、とも思ったが、その掌のぬくもりがあまりにも優しくて、少年は「へぇ」の一言で流す事にした。


「手酷くやられたね……、大丈夫?」

「慣れてる」


 少年の言葉に、その人はひどく悲しげな顔をしたのだけれど、地面を見つめていた少年がそれに気づく事はなかった。

 少年は両腕に力を込めて上半身を起こした。
 邪魔にならないように、との心遣いでか、どかされた掌がさみしい。


「ん、起きて平気なの?」

「大体は」


 そうして漸く、少年はその掌の持ち主の顔を見た。

 その人は見た事もないくらいきれいな人だった。
 男だけれど、美人という言葉が一番しっくりくるような(しかしこの上ない程の男前だ)。
 少し長めの金髪は光を吸い込んできらきらしく輝き、優しげな瞳に宿すのは凪いだ海の色。

 どこかで見たような顔だったが、頭に靄がかかったように思いだせなかった。
 思い出せないのがくやしくてじぃ、と見つめると、それに気づいたらしい男は言った。


「何か顔についてる?」

「目とか鼻とか」

「ついてなかったらまずいね、それ」


 あはは……、と何がおもしろいのか声をあげて男は笑った。
 今まで自分の目の前で、こんな風に大声で笑う人物はいなかったというのに。

 変な人。

 これが、少年の男に対する二つ目の認識だった。


「寒くないかい?」

「普通」


 確かに少し肌寒くはあったけれど、一人この場所で寝転がっていた時よりずっと、今の方があたたかかった。
 その理由を、少年は知らない。

 顔岩を見上げるように膝を抱えて座る少年の横に、男も腰を下ろした。
 この男からは、チャクラや気配、存在感といったものを全く感じない。
 それは違和感すら覚えるものであったが、強い忍は得てしてそんなものだろうと、と少年は自らを納得させた。
 男は言った。


「ねぇ、君は忍になるの?」


 少年はすぐさま頷くも、続いてされた「どうして?」という問いにはすぐに答える事は出来なかった。
 きょろりと瞳を動かす少年の言葉を、男はただ待つ。


「おれ、は、強く、ならなきゃ…………」


 ぽつり、零れた言葉に続くものは何だったろう。

 少年は俯き唇を噛み締め、続く言葉を飲み込んだ。
 男は少し物悲しげに、しかしやわらかく微笑んで、少年の頭に手をのせた。
 伝わる、熱。


「なれるよ」


 少年は男を見上げた。
 泣きそうな瞳が男を映す。ガラスの瞳に映った男の顔も、どこか泣きそうだった。


「君は強くなる。俺が保証する。君は誰よりも何よりも、強い人間になれるよ」

「…………本当に?」

「ん、もちろん」

「本当にそう思う?」

「絶対に」


 少年は男を強い――とても強いまなざしで、見た。



「火影になれるくらい?」



 男は目を見張った。

 

「火影になりたいの?」


 こくりと、素直に少年は頷いた。
 涙など流れるはずがないけれど、男は無性に泣きたくなった。

 今はだいぶ癒えたけれど、つい数十分前に里人から暴力を受けたばかりなのに。

 今日だけではない。
 いつもこの少年は傷ついて、ぼろぼろになって、涙を流さずに泣くのだ。

 ずっと見てきた。
 ずっと、見ていた。

 優しすぎる少年。
 強くなるだろう少年。


「………なれるよ、君なら」


 
 きっと将来、木の葉を照らす炎になる。



「うん」


 少しだけ照れくさそうに、けれども誇らしげに、少年は頷いた。
 嬉しそうにほころんだ表情は明るい。

 知らない人、初めて会う人。
 
 それなのに警戒心が全くわいてこないのは、男の表情の中に、三代目や自分の教育係が自分に向けるものによく似ているものがあるからだろうか。

 知らないのに知っている、なんて。
 おかしな話だ。

 遠くから、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
 少年はその方向へと顔を向ける。


「カカシだ!」

「ん、どうやら君を迎えにきたようだね」


 悲しそうな瞳を穏やかな笑顔の下に閉じ込めて、男は言った。
 けれど人の心の機敏に誰よりも聡い少年は、その一瞬を見逃さない。
 男を見上げ、ことりと首を傾げた。


「アンタも行こう?」

「………ん、ごめんね。俺は君と一緒には行けないんだ」


 今度は少年が悲しげな顔をする番だった。
 そうしているうちに、教育係の声は近くなる。

 言い聞かせるように男は少年と目線を合わせ、ほほ笑んだ。


「誕生日おめでとう、ナルト」


 男からの祝いの言葉。
 驚きのあまり大きく見開いた瞳は、男の大きな掌によって隠された。

 目元を覆う熱。
 それは少しずつナルトの意識を奪って――………。


「君がいつでも、幸せでいられるように。俺は、願ってるよ」


 それが少年に聞こえた、最後の言葉だった。

 完全に意識を手放し、かくりと力なくうなだれる首を見つめ、男は顔を歪めた。
 悲しみか喜びか愛しさか、それは男にもわからない。

 実際に触れる事は出来ないけれど、せめてこの熱だけでも伝わればと、男は少年の輪郭をなぞるように掌を滑らせる。
 しかしその時間も、長くは続かず。


「あー! こんなところにいた!」


 少年から青年になろうとしている年頃の、少年の教育係が現れた。

 その叫び声に思わずびくりと反応してしまった男は苦笑した。
 慣れとはなんと恐ろしく残酷なものなのか。


「ったく、寝てるし……。風邪でも引いたらそうすんのよ………」


 ぶつぶつと文句を言いつつも、その表情は優しい。
 熟睡する少年を軽々と抱き上げる腕は、男が知っているものよりはるかに逞しくなっていた。


「ありがとね、カカシ……」


 ゆるりと笑って、男は言った。
 男に背を向ける教育係の青年の肩越しに、穏やかな寝顔が見える。
 起きる様子を見せない少年の姿から、信頼しているのだと、心を許しているのだと、見てとれた。


「ナルトを、よろしく頼むよ」



 俺の宝を、里の炎を、守ってやって、カカシ。



 誰かに名を呼ばれた気がして、教育係の青年は振り返った。
 けれど目を向けた先に映るのは、ただ静かに里を見下ろす四つの顔岩。


「せんせい―――……?」


 ざぁ、と吹いた風は、青年の呟きをかき消した。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 里が一望できる大きな窓越しに、ナルトは外を見ていた。
 見下ろす里は、昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
 ―――静かすぎる、程。
 そうして昼間の出来事を思い出し、ナルトは小さく笑った。

 里を歩けば色とりどりの包装紙に包まったプレゼントが道のあちらこちらから差し出され、執務室で仕事をすれば絶え間なく里内外から自分宛てに小包が届く始末。
 暴力しか与えられなかった幼い頃とは180度も違うこの日に、かすかな戸惑いと大きな喜び。

 けれど昔と一番違うのは―――。

 ナルトは思考を中断させた。
 猛スピードでここへ向かってくる、慣れ親しんだ二つの気配を感じ取って、ナルトは殊更笑みを深めた。
 けたたましく扉を開けて自分に飛びついてくるまで、あと5、4、3、2、1……。


「「とうさまーーーーっっ!!!」」


 勢いよく扉を開いて元気よく父を呼ぶ、満面の笑みを浮かべる二つの塊。
 その勢いのまま自分へと飛び込んでくる小さく軽い体を、ナルトは軽々と抱き上げた。


「どうした? そんな急いで」


 穏やかな表情で優しく問えば、まだ幼い自分の子供達――男女の双子だ――は、そのふっくらとした頬を赤く染め、我先にと話し始めた。


「あの、あのねとうさま! かおいわのところでね!」

「とうさまにはなしたいことがあって、いそいできたの!」

「………夜に出歩くな、って言ったよな?」


 気持ち声を低めてそう言えば、しまったとばかりに子供達は自分と相手の口を小さな掌で覆った。
 気まずそうにお互い顔を見合わせる子供達。

 ナルトは子供達がこっそりと外へ出ていった事も知っていたが、その可愛らしい反応が見たいがために少し意地悪くそう言った。
 もちろん、夜に外出した事に対しての咎めの意味が主だったが。


「危ないから駄目だって言っただろ? まぁ、今回は特別に許してやるけど」

「ほんと……? とうさま、おこってない?」

「ん、ほんと。な、俺に話したい事あったんだろ? 聞かせて」

「うん、あのね、あのね! とうさま、おたんじょうびおめでとう! これ、ぷれぜんと!」


 はい、と差し出されたのは、一夜しか咲かないと言われる貴重な花だった。
 どこから出したのだろう、とどうでもいい疑問が浮かぶが、本当にどうでもいい――どうせ周りの大人達が色々と仕込んだんだろう、と結論づけた――ので、口には出さない。

 小さな掌に一人一本、摘み取られた花は今夜しかもたないが、それより子供達が自分の為にそれを取って来てくれた事が嬉しかった。
 感動のあまり、力を込めて抱き締めると、きゃあーと嬉しそうな声が上がった。


「ありがとなー! 父さん嬉しい」

「ほんと!?」

「ほんと。マジでマジで」


 つけてあげる、と言われてナルトは一度、子供達を腕の中から解放した。
 しゃがみ込んで目線を合わせてやれば、拙い手つきで花を髪に飾り付ける。
 そしてきれいに見えるようバランスを取れば、満足そうに微笑んだ。

 

「ありがとな。つか、よくこんなの知ってたなー。誰に教えてもらったんだ? 母さんか?」

「んーんー。しらないひとー」

「………お前ら、あれだけ知らない人についてっちゃいけません、て」

「だ、だってとうさまににてたんだもん!」


 ナルトは軽く目を見張った。
 言い訳するように必死になって、子供は続ける。


「かみのけはきらきらのきんいろでね、やさしいあおいめしてたの。わるいひとじゃないって、すぐわかったよ! だってわらったかおがとうさまそっくりだったもの」

「そのひとがね、いったの。つたえてって」


 二十年近く前の、ある年の誕生日を思い出す。
 この子供達と同じように、10月10日の夜、顔岩の下で出会った人。
 大人になった今、それが誰だったかは、もうわかっている。


「“たんじょうびおめでとう、なると”って」


 涙が、出そうになった。

 けれど子供達の前では涙など見せられないから必死で抑え込んで、歪みかける顔に笑みを貼り付けた。
 それも不自然に歪んではいたが、それでも泣くよりましだった。


「それからね、“いま、しあわせ?”って、きいてた」

「じぶんできかないの、ってきいたらね」

「行けないから、って?」


 子供の言葉を引き継いでナルトが言うと、驚いたように目を見開いた子供はこくりと首を縦に振った。

 こんなところまで、二十年前と同じなのか。

 ナルトは子供達を抱き締めた。
 いつもとは違う父親の様子に多少の戸惑いを見せるものの、子供は大人しくその背に腕を回した。

 腕の中の確かなぬくもりと感触に、安堵。


「幸せだよ」


 静かに答える。
 ここにはいない、あの人に。


「幸せだよ」


 静かに答える。
 もういない、実の父に。


「この里に生まれてきて、お前達の母さんと出会って、お前達が生まれて、本当に幸せ」


 子供だった青年は、その大きな腕の中に昔父が守っていたものを引き継いだ。

 そしてまた新しく出来た大切なものを守っていく。

 そしてそれはきっとこの子供達にまた受け継がれ、守られていくのだろう。

 そうしてまた、絶える事なく時代は流れ、子供達から、次代へ、続いていく。

 永遠の中の、刹那の一瞬を生きる。

 その流れの一端を担えた事を、誇りに思う。


「ありがとう」


 今は亡き父に、母に。


「ありがとう」


 愛してくれた妻に。


「ありがとう」


 父と慕う子供達に。ともに生きてきた仲間達に。


 守るべき、この里に。



「ありがとう」


 


 幸せはこの腕の中に、確かに存在しているのだ。

 












あんなにも憎かったこの世界が、今、こんなにもいとおしい

 

+++++++++++++++
な・・・和む。
ナルトもさることながら子供たちや四代目も素敵v
火影ナルトもいいですねぇvV

背景花言葉は「私の思いを受けて」です。

07/10/28 夜烏 白羽

 

 

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