愛してると言っていた人が愛してなんかいなかった。 「じっちゃん、“さと”ってだいじ?」 幼い頃、ふと口にした疑問。 「勿論じゃ」 あの人は俺の頭を撫でながら朗らかに笑った。 適当に相槌を打ちながら窓の外を眺める。闇の中、満月だけが独りで輝いていた。 その時はそれだけで終わった会話。 意味なんて無かった。でもこの時だけは今でも覚えてる。 沢山の事があって、裏の仕事とか闇の仕事とか……まあ色々手伝うようになった。 そんな中また疑問に思った。こんな里、何処が大事なんだろう? 醜いとか愚かとか浅はかとか汚いとか、そんな言葉だけが思い浮かぶこの里のシステム。 忍里である以上仕方ないし当然の事だけど、あの人はそんなの許せるだろうか? 善い人を絵に描いたような真っ直ぐな人。沢山の闇を抱えながらあの時の満月みたいに輝くような人。 「わしはお前達を愛してるからのぅ」 まだ俺は子供だけど付き合いは長い。俺が生まれたときにはもう傍にいたから。 伊達や酔狂で危ない仕事を手伝っているわけでもない。嘘か本当かぐらい簡単に見抜ける。 それに、あの人は俺に嘘を付かないから。 「“あいしてる”……?」 あまり馴染みの無い言葉だったから意味は知ってても理解できなくて、やっぱり適当に相槌を打った。 色々と手伝うようになってから何年か過ぎて、表の仕事も手伝う事になった。 順序がおかしいな……とは思ったけど、頼み事だったから断らなかった。俺はあの人の“お願い”に弱い。 表の仕事と昼の仕事と裏の仕事と闇の仕事を兼任するようになって、色々唖然とした。 腑抜けた下らない退屈なつまらない馬鹿馬鹿しい阿保らしい馬鹿げた生ぬるい。簡単に言うと意味の無い仕事。 そして仕事に関わる人々の認識の甘さ。警戒心の無さ。 吐き気がして、でも、何処か居心地が良かった。 「“里”を愛しているか?」 あの人は唐突に聞いてきた。あの時と逆だな、なんて頭の隅で思った。 少し、考えた。どうなんだろう? 「わかんない」 正直に答えた。 あの人はまた俺の頭を撫でた。もう子供じゃないのに。 あの人が居なくなった。 あの人が死んだ。 でも泣く事も無く、とりあえずあの人が「あいしてる」と言った里を維持する為に仕事をした。 我武者羅に働いた……らしい。自覚無い。 とにかく仕事を続けた。いつの間にか何十年という月日が流れ、俺はあの人と同じ場所に立っていた。 何となく思い出した。あの時の疑問。 そしてそれに答えたあの人の答え。 あの人は“里”を愛しているとは一度も言わなかった。 あの人と同じ場所に立って、色々わかったことがある。 やっぱり里のシステムは醜いとか愚かとか浅はかとか汚いとか、そんな言葉が似合う。 真っ直ぐなあの人が純粋に愛せる筈が無かった。 あの人が愛していたのは里に住む“一部の人々”――あの人が言った「お前達」。 幼い頃から手伝っていたけど、そんな幼い俺に何故手伝わせたんだろう? “チカラ”を持つ俺はその気になれば何でも出来る。 里に憎悪を持てば、簡単に里を壊す事も出来る。 あの人は俺に表の仕事とか昼の仕事とか手伝わせた上で、聞いた。 「“里”を愛しているか?」 愛せるわけ無い。俺を憎んで殺そうとする里だ。愛せるわけが無いじゃないか。 それがわからないようなあの人じゃないから、多分、俺に言った欲しかったんだ。 「愛してない」 その一言。 この立場は、あの時あの人がいた立場はそんな事言っちゃいけない立場。 だから変わりに俺に代弁して欲しくて、全部全部壊して欲しくて、聞いたんだ。 里のシステムに深く関わる裏の仕事と闇の仕事。その仕事をしてきた俺。 俺は醜く愚かで浅はかで汚い。 表の仕事や昼の仕事はシステムに深く関わらない上層部分。 その雲泥の差の現実を知って、俺に失望して欲しかったんじゃないか? 昔、あの人も失望したように。 でも気が付いた時にはあの人はこの立場に居て、失望なんて出来るわけが無かった。 だから早いうちから俺に沢山の仕事をさせて、早くに、手遅れにならないうちに失望して欲しかったんだ。 自分と同じ道を歩ませたくなかったから。 でもごめんなさい。 愛してると絶対言わなかった人が最期まで愛してた。 全部全部知ったのに、それでも俺は…………
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