赤い部屋にその幼子はいた。
部屋に有る唯一の窓から零れる月の光だけが、部屋を照らす。

赤い壁、
赤い床、
赤い扉、
赤い天井、

月明かりに照らされて輝く金色の髪。

幼子はただその部屋に居た。
その部屋に居る人間は幼子だけだった。
否、―――“ヒト”の形をした人間は幼子だけだった。

幼子は自らの小さな両手を見つめた。
痩せ細った、標準より小さなその躯。・・・標準を知らぬ幼子にとっては普通なのかもしれないが。
それでも幼子は“大人”とは違う“子供”の手であるということは理解していた。
―――そして、血に染まったこの手が異常であるということも、
幼子は理解していた。

幼子はそっと躯を丸め、部屋の角で自らを抱きしめた。
幼子は知っている。
自分は異常であり、異端であり、脅威であり、畏怖であり、恐怖であり、醜悪であり、忌み子であると。
幼子は自分に巣喰う獣の存在を知っている。
その性で自分は殺される事を望まれた存在であると知っている。
でも、殺されてはならない存在であると知っている。

―――せめて、死ぬなら封印と同化するまで・・・。

今、封印が不安定な状態で死ねば、あの獣はまた蘇える。
あと数年経てば、あの獣は自らの封印と同化してくれる。そのとき死ねば封印と共にあの獣は死ぬ。
誰に言われたわけでもなく、教えられたわけでもなく、わかっていた。
・・・だから自分を殺そうとする存在は許さない。
でもそれが愚かで浅はかで醜く独り善がりで身勝手なエゴだとわかっていた。

幼子はその蒼い瞳に“ヒトだった物”を映す。
赤い赤い、赤い“それら”は自らの罪の証であり、罰の証であり、咎の証であった。
獣の存在により架せられたモノではなく、自分自身のモノだと。

後悔はもう無い。もういっぱい嘆いた。
哀しみはもう無い。もうたくさん悲しんだ。
涙は、これで最後。―――もう充分なほど泣いたのだから。

幼子は月を見上げる。その瞳には、子供に似合わぬ王者の貫禄があった。
蒼く、何処までも澄み切った眩しい瞳にもう迷いは無かった。
頬に一筋だけ流れた涙を拭い、幼子は立ち上がった。
近づいてくる気配。大切な存在。唯一愛してくれた、慈しんでくれた人。

扉が開いた。一人の老人が立っていた。
老人は部屋の惨状に目を見開くと、すぐに部屋を見回し幼子を視界に収めた。
そして駆け寄り、幼子を抱きしめる。

幼子は何も言わない。
老人は謝り続けた。

数人の忍が駆けつけた。床に転がる“モノ”を同じ装束を着た忍達だった。
幼子は肩越しに忍達の着けた仮面を見上げた。
十二支を模した面は何も語らない。

老人は幼子を抱き上げると、忍達に指示を出し赤い部屋を後にした。





 +++++





火影の執務室へ来ると、幼子は老人の腕の中から降りた。
そしていつもの定位置に―――火影の机の上の腰掛けた。
老人も火影の椅子に座り、そして優しく幼子に話しかけた。
幼子も微笑み老人に答える。

他愛も無い話で、それでいてどうしようもない話だった。
老人はたくさん話した。幼子の子を紛らわせるように。
不器用で、どうしようもない優しさだった。

「・・・・・じっちゃん、」

ふと、幼子が口を開いた。

「お願いがあるんだ」

そのハッキリとした口調は、とても幼子に似合う物ではなかったが、違和感無く幼子に溶け込んでいた。
老人は滅多に無い幼子からの“お願い”に頬を緩ませる。
嬉しそうに目を細め、微笑んだ。

「どうしたのじゃ? 珍しいのぉ」
「うん、あのさ・・・」

幼子は老人を真っ直ぐと見つめ、ニッコリと微笑んだ。
そして老人は幼子の言葉に、目を見開いた。


「俺を、暗部に入れて」


楽しそうに、まるで「お菓子ちょうだい」とねだるように言った幼子は、期待に胸を弾ませ老人を見ていた。
その言葉を老人が理解するのには数秒を要した。
暫く経ち、漸く我に返った老人は「ならん!」と叫んだ。

「どうして?」
「暗部を何かわかっているであろう?知っているであろう?
 死と隣り合わせの危険な任務ばかりじゃ。何より血を血で洗うような仕事じゃぞ?」
「うん、知ってるよそれくらい」

理解した上で言ったんだと、幼子は微笑んだ。

「よく暗部のお兄さん達が俺のところに来るから、知ってる。
 人殺しが仕事だってことも知ってるよ。
 ―――だって、今更じゃない?」

幼子の蒼い瞳が老人を射抜く。
老人は幼子の言葉に顔を歪ませた。

幼子が初めて人を殺めてしまったのは、幼子がまだ今よりも幼かった時のこと。
独断で襲ってきた暗殺者に対し、幼子の中の獣―――九尾の力が暴走。
騒ぎを聞きつけた老人が駆けつけた時にはもう全てが終わっており、幼子はただ血の海の中泣いていた。

―――それからというもの、老人は自ら幼子に修行をつけた。
それは幼子が自らの望んだ事であり、幼子からの初めての“お願い”でもあった。
自分の身を守る為に、
殺されない為に、
そして九尾をコントロールする為に、
幼子は我武者羅に強さを望んだ。
そして老人は幼子の為に、自分の知識と技の全てを幼子に叩き込んだ。

幼子には父から受け継いだ類まれなる天武の才能があった。
それだけではない、もともと幼子自身にも秘めた才能があったのだ。
運命なのかもしれない・・・または必然だったのかもしれない。
幼子は瞬く間に最強の称号である火影の名を持つ老人をも越える実力者となった。

本来ならば、あの惨劇さえなければ“里の宝”となったであろう力。
踏みにじられたその力を、老人はいつも嘆いていた。

「俺は、俺を殺そうとするお兄さん達を一人残らず殺してきた。
 もう手遅れだよ。俺はもう血で血を洗うような場所に居るんだ」
「し、しかし・・・」
「じっちゃん」

老人は幼子から目を逸らしたくなった。
あまりに幼子の瞳は純粋すぎた。真っ直ぐすぎた。
―――それはあまりに痛々しい姿であった。
それでも目を逸らす事なんてできなかった。

「今、忍不足だんでしょ?」

幼子はそれでも老人を見つめ微笑んだ。


「確かにこの里は、俺を拒絶して、俺に憎悪を向ける。
 でも、この里はじっちゃんが愛してる里なんだ。
 父さんが命を掛けて守った里なんだ。
 だから俺も、この里を守りたい。
 ・・・まだ、俺がこの里をじっちゃん達みたいに愛せるかわかんないけど、
 それでも、この里を、木ノ葉を、
 護りたいんだ。

 ――――・・・駄目?」


それは、強い意思の宿った瞳だった。
決意と覚悟。もう後戻りなんて出来ないと、自ら全ての逃げ道を握りつぶした瞳だった。
自ら修羅の道に入り、混沌と狂乱の闇を生きる決意をした哀しい瞳だった。
老人の救いの手すら取ろうとしない、自らの力で歩む覚悟をした独りの瞳だった。

「・・・・・それは、下手すると全てから拒絶されるような、
 表舞台に立つ事すら出来ぬ、後戻りのできない道じゃぞ?」
「構わない。
 裏で生きるから、闇で生きるから。表舞台では実力を隠すよ。
 それが俺の選んだ道だから」

真っ直ぐで、純粋な瞳。
―――老人は小さく、ため息をついた。


「・・・宜しい、許可しよう」


幼子の顔が喜びに染まる。

「ありがとう、じっちゃん大好き!!!」
「こ、これ!」

幼子は喜びのあまり老人に抱きついた。
嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑む。
無邪気なその様子を見て、老人は哀しくなった。

「では、暗部名と暗部面を用意しなくては」
「“カイ”がいい」

老人の言葉を遮り、幼子は静かに言った。

「“カイ”・・・・・?」
「うん、“カイ”がいい。
 そんで、暗部面は“狐”にしてね。」

反論しようとした老人を笑顔で制し、幼子は続ける。


「俺への戒めだから。・・・だから“
カイ”がいい。
 俺は忌み子で器だから、俺の存在自体が罪だから。
 俺が俺であることを忘れないように、俺は一生俺であり、俺でしかないってことを忘れないように、
 戒めるように。
 ・・・俺にはこの名しかないって、前々から思ってたことなんだ。」


幼子は机の上から飛び降り、老人と向き合うように立った。
部屋の明かりがついているはずなのに、その姿は闇の中にいるようだった。
小さく、儚く、脆く、今にも壊れてしまいそうな小さな躯。
父譲りの眩しい黄金色の髪と、澄み切った空のような蒼い瞳。

老人は思い知った。
幼子は生まれながらの王者であり、覇者であり、君臨者であり、神子であり、
―――そして、そのどれにもなることのできない、不確かな存在なのだと。

幼子はそのまま片膝を付いた。


「火影様、
 どうか俺に“戒”という名の暗部名と、“狐”の暗部面を与えてください。
 俺は火影様に永遠の忠誠を誓い、この里を、木ノ葉を、全ての災厄から護ると誓いましょう。」


―――嗚呼、

火影は想う。
なんて優しい子供だと、
それでいて見ていて痛々しすぎる、切なすぎて残酷な、哀しい子供だと、
力を持ってしまった、誰よりも強くて弱い存在だ、と・・・。


「――――・・・わかった、命じよう。

 うずまきナルト。
 本日より暗殺戦術特殊部隊にその身を置き、火影と里への永遠の忠誠を誓え。
 お前に闇に在るべき名、暗部名“戒”と、
 闇に生きるもう一つの顔、暗部面の“狐”を与える!」


幼子―――うずまきナルトは、恭しく頭を垂れた。





「拝命いたしました」





それは、もうあの赤い部屋には戻らないと、ただ庇護の下には戻らないという誓いだった。
もう後悔はしないと、もう哀しみはしないと、涙しないという決意だった。
闇に生きて、血で血を荒い、幾千の屍踏み越えていく覚悟だった。
自らの愚かで浅はかで醜く独り善がりで身勝手なエゴの為の、誓約だった。
自分を拒絶する里へ、自分を愛してくれる人の愛する里へ、自分が愛せるかどうかさえわからぬ里へ自分の身を縛り付ける儀式だった。

あの惨劇から三年、ナルトが三歳のときの出来事。




神子である忌み子は、
守護神として、

里を、護り続ける―――――。







+++++あとがき++++++++++
戒編改めナルト編終了。
一番最初の場面は付け足し。ナルト決意の夜。
後ろ向きだけど前だけを見つめて生きていく決意。
ちなみに裏設定、赤い部屋は元々白い部屋です。・・・グロ?
08/03/31 夜烏白羽

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